たまたま以前一緒にマスタークラスを受けた日本の後輩ちゃんから連絡があって、ミラノでビザ申請のため住居証明を出してくれるお家を探していると言われ。
私もミラノに来て最初に住んだアパートの大家さんに連絡してみれば、ツテを使ってなんとかしてくれるのでは、と提案し、一緒に文面を作って、彼女がメールしてみたところ
non capisco cosa vuoi (あんたがどうしたいか分からない)
との返信が速攻で届いたそうで。
ちょっと事情がややこしいので電話で説明したほうがいいなと思って、私が翌朝電話をして、久しぶりにその大家さんと話したのですが、何故かすごい勢いでまくしたててくる。
日本人の感覚からすれば、完全に「怒っている」。
でも、別に怒るほどの事態でも全くないので、思わず、
「ちょっと待って。なんでそんなに怒ってるのですか?」
と単刀直入に聞いてみたところ、
「彼女が何を私に望んでるのか分からないのよ!」と捲し立てられ、これこれの事情で、と一から丁寧に説明したところ、結局問題なく、解決できることになったのですが、
ちょうど去年私と同じくらいのタイミングでこちらにきた友達が、家や語学学校の手続きで、イタリア人に「散々怒られた」「もう怖いからあの人、この人は会いたくない」と言っていたなと思いだし、何を怒られる必要があったのかなぁと思っていたのだけれども、きっとこういう感じだったのだろうなと、今更ながら気が付きました。別に怒られたわけじゃないんですよ。
私も最初、NYで初めての海外生活を始めたころ、こういった手続き面で、ちょっと冷たいいい方をされたり、時に思い通りにならなかったり、ということが結構あって、いちいちめげてたし、言い返せるほど、語学力の面で肝が座ってなくて太刀打ちできなくて、悲しくなったり、もうその人にかかわらないようにしよう、なんて思ったことがあったなと。
イタリアに来てからは、少々そういうことがあっても気にしなくなったし、とりあえず自分の意思を主張(説明)する、質問する、何とかなりませんかと聞くクセというか習慣がついているから、あまり不快に感じることなく過ごせているのはあるかもしれません。
単純に日本人と習慣が違うだけですから、これから海外(イタリア?)生活を始めるという方が、もしこのサイトを読んでたら、是非参考にしてください。
・どんなに捲し立てられても、自分が悪いと思わないこと。
・ビビらないこと。
・毅然と、思うこと、どうしてほしいか、どうしたいかを言うこと。
何を考えているか本音を見せない『日本人の美徳』は、イタリアで快適に過ごすためには捨てたほうがいいようです。
ちなみに、そんな風にして長年イタリアに住んでいる人は、だんだん思ったことを全部口にするようになりますね。超がつくほど正直に。
日本に帰っても、ついまた思ったことを正直に言ってしまって、荒波が立ったりね。