2019年 12月 28日
軟口蓋(だけ)に囚われすぎない |
クリスマスも過ぎましたね!
イタリアの友人たちが、FBに次々とミラノのDuomoの様子や、クリスマスツリーをあげ、メッセージもくれました。
イタリアのクリスマスは、家族で集まり、友人たちとまたこの一年の幸せを願い合う、という日で、日本のお正月に感覚が近いなぁと毎年思います。
さてさて、随分前に書いた、「軟口蓋をあげるということ」という記事が、いまだに読まれている記事ランキングで1番をキープし続けているのが、ずっと気になっています。「軟口蓋難民」(??)の方が日本の世の中に多いということでしょうか?
声楽を勉強し始めたばかりの生徒さん、それは若い学生さんも大人の方も、合唱で歌ってみようという方も、最初に先生に言われるのが「はい!軟口蓋をあげて!」ということなのだと思います。
日本語を話す日本人はどうしても軟口蓋が下がりやすいので、意識してあげましょう!
と皆さん言われるのだと思います。
私も日本でそればっかり言われてましたから、汗 分かります。
イタリアに渡った最初の頃こそ、日本人を見慣れている先生のところに通っていたので、「日本人は軟口蓋をうまくあげられないから!」と口酸っぱく言われるイタリア人の先生はいました。その頃いただいたアドバイスを元に書いた記事が、その1番をキープしている記事です。
気になる方はこちらから→https://sayakah626.exblog.jp/26344304/
が、不思議なもので、だんだんとあまり言われなくなったのですよね。
自分で今日は低いな、と思うときは、口内ストレッチをして調整できるようになった&イタリア語で話していると、そこまで下がらない、ということだったのかなと思います。
そもそもイタリア人がイタリア人につけているレッスンを見ていても、そのことはおっしゃらない先生が正直ほとんどでした。もともと上がってる、特に若い、歌を始めたばかりの子は、めっちゃ高いポジションが普通、というより、いやーむしろ高すぎるんじゃ?!と感じることもしばしば。なので、むしろその高すぎるくらいのポジションと、最初はどうしても不足がちな下から支える身体のバランスを整える。整えながら歌うことに慣れていく、という過程を先生が粘り強く見守っていく、ということなのかなと感じました。自転車でも一輪車でも、最初からうまくバランスをとりながら走ることは難しいですが、だんだんとコツを掴んで、バランスよく運転できるようになる、というプロセスに似ています。歌の場合は、どんなに早くてもどうしても数年かかりますが、結局は自分でいいバランスを見つけて、慣れていかないといけないです。
軟口蓋を物理的にあげることだけ、を意識していると、首から下の身体の部位がおざなりになって下からの支えが使えなくなり、ピーピー声になってしまいます。日本でベルカントに強い、ベルカントを教えてくれる、と評判の先生についている生徒さんを聞いていると、この身体はどこいっちゃったかな?とい歌い方をする方が多い気がします。西洋人や韓国人は、それでも身体が我々より圧倒的に強いので、お腹より下の部分を支えとして使った歌い方をなんとなく習得していきますが、日本人はどうしても身体的にも弱いですから、軟口蓋だけを考えるのは危険です。
なんとなく軟口蓋をあげる、ということがわかってきたら、次は、身体の重心の使い方、支えのとり方、お腹の使い方を考えたほうがいいです。このプロセスは、自分ひとりだけでやるのはやはり難しいので、そういうことが分かっている先生と、少しずつやるのがやっぱりいいと思います。
by sayakah626
| 2019-12-28 16:36
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