2018年 08月 12日
アゴは下げるのか、下げないのか |
久しぶりに、歌のテクニック面のことも書いておこうかと思います。
軟口蓋のあげ方、とずいぶん前に書いた記事のアクセス数が変わらず多いようなので、テクニック面で参考にしたくて当ブログに来てくれる方も多いのかもしれません。ブログで、かつ言葉で書く、ということは、なかなか難しいことなので、あまり書いてませんでしたが、ちょっと忘備録がてら。
さて、師匠を変えて、メロッキ歌唱法と言われる昔ながらのやり方に変えてから、声量と息が安定するようになり、フレーズの最後まで心配せず、のびのび歌えるようになりましたが、この半年、他の人からよく言われるようになってしまったのが、アゴをそんなに下げる必要はない、ということ。
エルサレムでは、プログラムの一貫で、イスラエル1と言われる先生のレッスンを連日受ける機会をいただきましたが、彼女も「アゴは使うな」。
そして言われたのは、もっとモーツァルトを歌え、しばらくプッチーニやヴェルディはおいておいて、声をフレッシュにしたほうがいいというアドバイス。イタリアの、メロッキバンザイのうちの師匠は、モーツァルトを嫌がるので、はい、プッチーニとヴェルディばっかり歌ってました。なんで、モーツァルト、ドンナ・アンナ役、実は歌いにくいな、という面も、ちょいちょいあったんです。ベースはリリコだけど、コロラトゥーラ的な要素もあるので。
今回イスラエルで先生と試してみてわかったのは、アゴを下げなくても、実は歌える。
モーツァルトやベルカントまでは、軟口蓋より上の響きだけで歌える、というか、前は、少なくともNYの音楽院時代は、歌えなかったのですが、歌えるようになっていることに気が付きました。軟口蓋が前より自然にあがるようになり、意識しなくてもマスケラで歌えるようになっている。
アゴを下げないメリットは、各母音の音色がもっと統一されて、もっと声のラインを作りやすくなります。
もともとアゴを下げなくても歌えてしまう、器用な・最初から歌えてしまえるタイプの人もおられますが、私はアゴをさげることを学んだことで、とても時間はかかりましたが、今の状態にたどり着いたかなと思います。もともと、非常にアゴに力が入ってしまうタイプだったので。
アゴの支点を使うのは、本当に必要な局面、フォルテでアクート(高音)で、かつオーケストレーションが分厚いプッチーニのオペラのポイントポイントだけでも、大丈夫なようです。というか、蝶々夫人の最後のアリアのアクートなんかは、アゴ下げないと絶対に歌えないですね。
こういうことが体をもって分かるのは、色々実際にやってみて、です。しかもオケとね。。
ちなみに、私が一時期傾倒して、映像をひたすら見た、若い頃のネトレプコなんかは、柔軟に、よくアゴさげて歌ってます。アゴ下げることによって、声の丸みと深みが出ているけど、ちゃんと母音もつなげているので、非常にうまいです。
あと、見た目と声のギャップというのは、できたらあまりないほうがオペラの世界では便利です。やはり第一印象の見た目に引っ張られるので。
私は、どうしても海外に出てしまうと小柄だし、アジア人故に10ほど、場合によってはそれ以上(!)若く見られるので、面倒です。
もっと軽い声でしょう?小さいんだし、若いんだし、と言ってくる人は多いです。
いや、そこまで若くないんです、って最近は言わないといけないことが多い。汗
なんで、見た目と声に乖離がある私は、一曲かせいぜい二曲だけ聞いて判断されてしまうエージェンシー相手には、不利だなぁと改めて思いました。
一曲で、相手を黙らせるくらい絶対的に上手ければいいんですが、まだそこまでは至ってない。
一方、仕事慣れしてる子は、そのへんのセルフプロデュースがすごくうまい。自分の見た目の特徴をよく把握していて、どういう曲をどういうふうに歌えば、相手が自分をとるかよく分かってる。
今回、そのイスラエル1の先生、呼ばれてやってきたスペイン人とイタリア人のエージェンシー、主催者のイタリアでも弾いてるピアニスト、皆見事に、全く違うことを言う!
全員を満足させるのは無理なようです。
となると、自分にとって、何が一番いいのか、自分で決めていかないといけないな、と。
声楽を学ぶ段階で、先生が言うことが色々変わる、というのも、必要なことだと思います。整理整頓は、自分でしないといけないですが、色々やってみないと分からないですね。声楽の難しいところであり、面白みが尽きないところだと思います。
by sayakah626
| 2018-08-12 07:51
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