2018年 04月 23日
マエストロ・シャイーと |
今スカラ座でかかっているドニゼッティ作曲「ドン・パスクワーレ」の指揮者である、リッカルド・シャイー氏のインタビューを、学生が聞く、という企画がスカラ座であると、ドイツ歌曲史の先生が誘ってくれて、紛れ込んできました。
RAI5(日本のNHK3チャンみたいな位置づけ)の特集で、放映されたようです。(右側から2番めのお方)
シャイー氏は、お名前がフランス風なんで、なんとなくフランス系なのかと思ってたら、生粋のミラネーゼで、ミラノの音楽院でも勉強されていた方で、どうもドイツ歌曲史の先生とはお年も近く、仲良しなそうで、彼女の生徒を呼んでこようという話になったようですが、こういうところで、イタリア・オペラ界て狭くて、かつ関係者が密接な社会なんだろうなと思います。
ドニゼッティが速筆だったこと、ロッシーニの作風と案外似ている点も多いということ、キャラクターの光るドン・パスクワーレの見どころ、演奏が難しい箇所があって、そういうときどうオケをまとめるか、などの話をしてくださいました。
シャイー氏は、今スカラ座の音楽総監督をされていて、結構色んなオペラをふってらっしゃるし、オペラ界を盛り上げるために色んな試みをされている方だと思います。前に記事に書いた蝶々夫人でも初版を用いて、原点に立ち返る試みをされていました。
まぁ私のマエストロに、彼と会った話をしたら、スカラ座でも歌っていた私のマエストロなので、シャイーは、新しいことをしようとしすぎて、本当に作曲家が何をしたかったかを尊重しない、僕は嫌いだ、とけちょんけちょんに言ってたりして。言いたいことはわかりますが、主張が強いよ。。
ところで、最近、なんでこんなに毎日が落ち着かないなかぁと考えていたんですが、それは関係するイタリア人の数が絶対的に増えていて、一括りにイタリア人と言っても、それぞれタイプが違って、全てちゃんとしてる人もいるし、ちゃんとするべきところしかちゃんとしない人もいるし、ちゃんとしようとしてもできない人もいるし、と色々すぎて、読めないからだなと。その幅が大きすぎる。
日本人的にちゃんとしようとすると、行ってみたら自分しかいない、自分しか用意できてない、みたいなこともあるし、早く行って待ってても、あとから来たイタリア人に彼らの都合で先生に順番を変えられたり、お願いだから変えてくれ!とか直接言われて、いや私ずっと待ってるんだけど、、とは言うんだけど、でも譲らなかったら、心の狭い人になってしまうので(イタリアではありえない)、諦めて譲る、よってもっと待たされる、みたいなこともあるんで、あまり真面目にやってると「はい?」ていうことも多いので疲れるし。
だからといって、自分も適当にしておけばいいや、としてしまうと、意外なところで皆がちゃんとしていて、置いてきぼりをくらいそうになって大変なことになったり。人様に迷惑をかけたり、人様の時間を無駄にすることは、相手に対して失礼だ。よって、あらゆる可能性を想定して、最大限準備をすべきだし、人とした約束は守りましょうね、という感覚が、日本人の根本部分にあると思いますが、その根本部分がこの国には全くないわけだ、とつくづく思うわけです。難しいのは、郷に入れば郷に従えだ!なんていってイタリア人風になってしまうと、日本人からの信頼を失うことです。(w)
ということで、まぁでも、やはりネイティブの皆さんは、なぜそうなったかについて理由を述べるのは、毎回感心してしまうほど非常にうまいので、言語で説明するには全く勝負にならないので、まぁ私も都合のいいときだけ、外国人のふりして「分かってませんでしたぁ」と逃げ切る?という技も駆使しつつ、なんとか生活している、という最近です。
by sayakah626
| 2018-04-23 21:49
| いろいろ日常
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