2017年 09月 28日
クレモナ訪問 リュータイオの世界 |
8月中には、ミラノにいた時間の隙間をぬって、ずっと行ってみたいと思っていた、クレモナも訪問することができました。
もちろん塔にも登りました。ここの塔は、イタリアで一番高いそう。暑かったけど、初めての場所では、塔に登るのはお約束です。
クレモナでヴァイオリン職人(イタリア語で、リュータイオ、と言います)をされている松下敏幸さんの工房にお邪魔させていただきました。
街に入ると、昔ながらの伝統的な街並みに、あちこちにヴァイオリン工房や、道具やさんが並んでいて、本当にヴァイオリン制作の街なのを感じます。そして田舎なのに、若いアジア人がちらほら。世界から弟子入りしている人たちが。
松下さんは、数少ないリュータイオとしての「マエストロ」という称号を国から得られている方で、直近では家庭画報8月号の「楽器を愛す」という特集でも取り上げられています。
私も、写真を撮ってもいいと許可をいただきましたので、工房の様子をご紹介します。
これは、完成したヴァイオリン2台です。ヴァイオリンそのものが芸術作品のようで、美しい。
工房には、何十年と寝かせている最中の木や、ストラディバリからヒントを得たオリジナルの製作図、秘密の香料や石、色々なものがあふれていて、さながら松下さんの秘密基地のようでした。
ニスを塗るところを見せていただきました。ニス一つとっても、色々な魔法が。
丁寧に、何十回と、塗っては数日かけて乾かし、を重ねていくことで、音がより良く変わるそうです。
お日様にも適度にあてながら、乾燥させながら、時間をかけて丁寧に完成させていくそうです。
鍵もかけていない出窓の外に、製作中のヴァイオリンが太陽の光を受けて神々しく並んでいて、思わず盗まれないのか心配になってしまいましたが、さすがヴァイオリンの街、持っていく人はいないそう。(汗)
一緒にお邪魔したイタリア人の友人も、息子さんに職業教育の一貫として見せるんだと言って、写真を沢山撮り、質問攻めにしていました。こういう職人魂のようなものは、やはりイタリア人の心を打つようです。
そのあと街の散策へ出かけました。
ここが街の中心の、トラッツォ(塔)と、ドゥオモ(大聖堂)。
広場が狭くて、これ以上後ろに下がれなかったので、やたら近いです。迫力があります。
クレモナは、エリアとしてはピアチェンツァから近いのでエミリア・ロマーニャ州なのかと思っていたら、まだロンバルディア州、とのこと。このドゥオモの大理石を使った装飾スタイルが、私のいたルッカの、サン・ミヘーレ(ミケーレのトスカーナ訛)教会ととても似ているのです。当時、色々な交流があったんだろうな。
塔には、時計がついているのですが、この時計一つで、時刻、日にち、月の満ち欠け 全てが分かる精巧な造りになっているそうです。
見渡す限り、360度平地が続く。。
クレモナは、地形的に平野の中の盆地(すり鉢状)になっているところに位置するため、夏は熱気がこもり、そして、冬は湿度が高くなる。
決して、ヴァイオリン製作に100%向いた土地、ではないそうです。
もともと、15世紀頃から、当時の教会の保護のもとに、ヴァイオリン製作の街としてヨーロッパに名を馳せたクレモナですが、ストラディバリ亡き後、政治の混乱期が続き、全くイタリアでヴァイオリンの制作が行われない時期があったそうです。
そして、ファシズムの時代がやってきて、クレモナはファシズムの拠点にもなったときが1920年代にありました。なので、街を歩いていると、古い教会が次々と並んでいたのが、急に建築様式が変わり、質素な外壁の建物が出てきたりする。当時、ファシズムにより壊されて、作り変えられた建物です。ムッソリーニの右腕であった、ファナリッチという人物がクレモナの人間だった、ということのようですが、ムッソリーニの命令により、ファナリッチがクレモナにヴァイオリン製作のための学校の設立を促したそうです。
当時イタリアには、もう製作技術を教えられる人がいなかったので、ハンガリー等外国から人材を呼んだとか。
もしファシズムが存在しなかったら、クレモナはヴァイオリン製作の街、として戻らなかったかもしれない、歴史の面白いところだね、と松下さんは教えてくれました。
最後に、1500年代に建てられ、修復されながら、今でも使用されているというトレッキ宮殿にて。色合いがとても柔らかな宮殿で、装飾が一つずつとても美しい。よく見ると、外壁が、クレモナを制した代々の国家や公国の紋章で装飾されています。
by sayakah626
| 2017-09-28 23:55
| 音楽全般
|
Comments(0)