2016年 05月 14日
私が言葉にこだわる理由 |
ウィーンは、ほぼ毎日シュタットオーパーでオペラが上演されていますし、その他大小様々なコンサートが日々行われていて、本当に”音楽の街”と呼ぶのに相応しい街です。
早速、オーパーでベートーベンのフィデリオ、ワーグナーのローエングリンを見てきました。フィデリオはベートーベンらしく、登場人物の心情面を繊細に追った、これぞという展開でしたし、ワーグナーは大合唱と非常に質の高いソリスト、丁寧な演出で圧倒されました。
世界広しと言えでも、わずか3ユーロからオペラを見られる街はここだけなのではないでしょうか。
正面で見られる席(正確には位置、ですが)を誰でも見られる価格で配る、のはウィーンとしてのプライドのようです。
ちなみに、やはり立ち見で3ユーロや4ユーロだと、冷やかし、というか体験としてとりあえず来てみた、という観光客や若い人も多いようで、たいがい中盤になるとガラガラになるので、最初は非常に狭いですが、徐々に余裕を持って見れます。立って見るのも、集中できて悪くないです。足はパンパンになりますが。
久しぶりに見るドイツもののオペラ。
愛と情熱とそして、死、を直接主題にして歌うイタリア・オペラに対して、同じ愛でももっと哲学的に、なぜ愛しているのか、なぜそこに愛があるのか、ひいてはその存在理由、まで展開して延々と語るドイツ・オペラ。
やはりそこには、言語の元々持つ差、もあるように思います。言語が、国民性にも影響を与えているかと。
そしてドイツ語が美しく聞こえてくる。
特にローエングリンの主役、白鳥の騎士を歌ったKlaus Florian Vogtは本当に素晴らしかった。
世界的に見ても、甘いささやくような歌い方もできて、声が通るテナーとして、ずば抜けていると思います。ささやくように歌っていても、全ての単語が最上階の一番後ろの席まで聞こえ、かつそのレガートの美しいこと!本当にいい声を聞くと、それだけで幸せな気分になるというか、恋に落ちた気分になるというか、もうこれだけで生きてる理由になる、というか、まぁとにかく今日この場に居合わせられてなんて素敵なんだろうという気持ちになりますね。私が結局歌が好きでやめられない理由はそこにあります。
本当に久しぶりに興奮させられたテナーでした。ちなみに彼は日本に5月の終わりから行くみたいです!
また間違いなく、イタリアより演出を細かいところまでこだわって作られているのを感じます。イタリアは割とアバウトというか、ソリストの気分で最後動くことが許される、というかそれを良しとするところがあると思う。まぁそれがイタリアのあの自由な感じのいいところなんでしょう。
つい先日、ウィーン音大で、モーツァルトの皇帝ティートの慈悲、が行われていたので足を伸ばしてみたのですが、このイタリアもののオペラ。残念ながら何を言ってるか全く分からないww
思わず、イタリア語で歌ってるのかな、まさかドイツ語でやってるかしら、としばらく考えてしまうくらい。
イタリア語ってすごくシンプルな言語だと思いますが、だからこそ非常に細かいところをきっちり発音しないとまず母音が聞こえないんですよね。
そして、nの扱いかた、addio のように子音が二つ続くときの処理の仕方 etc. 色々気を配ったほうがいいところがある。そしてちゃんと発音したうえでレガートが作れるようにちゃんとなってる。イタリア語でオペラが最初書かれた所以だと思います。これは誰かイタリア語がネイティブの人(か、とにかく分かっている人)が継続的に指摘しないと分からないことなんですが、コーチがいないのかな。残念。
音楽的には、とても丁寧に作られていて、そして演出も非常に凝っていて演技もそれぞれが活き活きとしていて良くて、舞台としては非常に面白いものだったのに、イタリア語が彼らの言語ではない、という土俵で歌っている、のが分かってしまうのがとても残念でした。
アメリカで勉強していた時は、イタリア語が話せないのにイタリアものを歌うというのが自分に許せなかったし、イタリア語がだいぶ自分に近いものになった今、ドイツ語が話せない自分が許せなくて、こうしてオーストリアまで来てしまいましたが、その成果は裏切ることはない、というか、その言語の持つ文化も含めて、自分の歌にしっかりと出てきているように思います。
by sayakah626
| 2016-05-14 06:55
| 歌について
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